恋について


恋人ができました。

いや!!!!!おまえ!!!!!ものの3か月前には!!!!!「始まった関係はいつか必ず終わるのだから、いっそ何も始まらなければいい」とか書いてたじゃん!!!!!「これからも当たり前みたいな顔して、なんとも思っていない相手とセックスすると思う」とか書いてたじゃん!!!!!それなのにしれっとクリスマス前に恋人なんかつくっちゃってさ!!!!!なんなんだよ!!!!!結局おまえもそうやって!!!!!

やっぱり、3か月も経てば人の考えなんて変わってしまうわな。(遠い目)

実際のところ、彼と知り合ってからもしばらくは、特定の相手と交際するつもりはありませんでした。だって、始まったら終わるから。どんな関係性も、始まってしまったらもう、終わりに向かって進んでいくしかないから。最初は楽しくても、相手のことが愛おしくてたまらなくても、時間の経過は容赦なくお互いの化けの皮を剥がしていくし、慣れは飽きに移ろって、ともすれば好意は嫌悪に変貌していってしまうから。

彼とは、そうなりたくありませんでした。
でも、セフレみたいになってしまうのはもっと嫌でした。

わたしは、セフレという言葉に対して懐疑的です。「なんとも思っていない相手とセックスする」のは、双方の同意さえあれば問題ないことだろうし、わたしもそういうことをしてきています。でも、少なくとも、相手のことを「友達」だと思ったことはないです。セフレってセックスフレンドの略ですけど、セックスするためだけに会うなんて、そんなのもう、どう考えても友達ではないですよね。自分の欲求を満たすための、都合のいい「道具」でしかない。だからわたしは、前回の投稿で意図的にセフレという言葉を使いませんでした。なんだろう、あえて言い換えるなら「セックスするための知り合い」とかになるのだろうか。

世の中にはセフレとセックス以外のことをする人たちもいるようですが、「付き合っているわけではない」という前提で恋人同士のようなことをするのはすごく無責任だと思うし、そんなことしてる時点でどっちかは相手のこと好きになっちゃってる場合がほとんどだと思うので、対等な関係を築けているとは言い難いはずです。

で、そういう都合のいい関係って、相手に対する敬意や、相手のことを大切にしたい気持ちがあったら、絶対に選ばないと思うのです。

わたしは、少し年下で、なおかつほとんど恋愛経験がないと打ち明けてきた彼に対して、その選択肢はとれませんでした。そんなことできなかった。

だって、聴いている音楽が同じで、二人で美術館に行けて、お酒よりも珈琲の方が好きで、でもチェーン店ではなくてちゃんとした珈琲を出してくれる喫茶店がよくて、そういうお店で話しているとあっという間に3時間くらい経ってしまう相手なんて、簡単には見つからないじゃないですか。

特に音楽の趣味、これが致命的でした。推しが一緒だったのです。クリスマスの時期になると、およそ40年前にリリースされた名曲が必ずオリコンTOP100に入る某大御所ミュージシャンなんですけど……。彼の曲をわたしより聴きこんでいる同世代の人に会うのは初めてだったし、お互いのポータブルオーディオプレーヤーの画面見ながら1970年代にリリースされたアルバムの話ができちゃうなんて、そんなの運命感じない方が無理でした。たとえ交際には発展しなくても、気の合う友達としてずっと一緒にいられたらと、願ってしまうような相手でした。

さて、数あるマッチングアプリの中でもっともヤリモクが多いとされているアプリを利用していたために、わたしは基本的に、出会う相手の目的は十中八九セックスだ、と肝に銘じていました。言わずもがな、わたしの目的も十中八九セックスでした。適当に楽しい時間を過ごして、肉体的に気持ちよくなれればそれでよかった。真剣な恋愛や結婚のためにあんなアプリ使う人、まずいないでしょう。

でもわたしは、あまり遊んでいるようには見られないタイプだし、自分で言うのもなんですが、そこそこいい大学を出てそこそこいい企業に勤めているので、マッチして会った相手に不思議がられることが多々ありました。アプリをやっている目的を訊かれたとき、わたしは決まって、親の離別を目の当たりにして結婚願望がなくなったこと、今は特定の相手と付き合うつもりはないことを話していました。嘘ではありません。恋とか愛とかクソくらえっていう気分でした。恋とか愛とかで、どれだけしんどい思いをしてきたか。

そして彼は、わたしの話を真に受けた。真に受けて、2回目に会ったとき気の迷い(っていうかわたしが誘惑に負けたというのが正しい気がする)でホテルでエッチなことしちゃったあとも、「これはもうお互い絶対に好きじゃん」という状況になっても、「付き合ってください」とは言ってこなかった。

だから、再びそういう流れになってしまったときに、喫茶店を出て駅まで歩く道すがら、わたしから「そういうことをするならちゃんと付き合いたい」と伝えました。曖昧な関係に持ちこむきっかけをつくってしまったのは、どちらかといえばわたしの方だったからです。

彼から、「僕もそのうち言わなきゃいけないと思っていました、趣味が合うとわかった時点で好きでした」という旨の答えが返ってきたときは心底嬉しかったし、彼がわたしに気を遣って積極的なアプローチを控えていたことを知ると、そこに彼なりの優しさや誠意を感じました。

(付き合う前にそういうことをしておきながら誠意もクソもあるものかというツッコミがとんできそうですが、まあ当人同士にしかわからない機微もあります。彼のセックスは、ヤリモクのそれとは少しちがうものでした。)

彼と親密になっていく過程でリスロマンティック的な感覚に陥らなかったのは、告白より先に体の関係があったことと、わたしの方から好意を伝えたことが大きく影響していると思います。

順番が逆なのは百も承知で、わたしはやっぱり、セックスを経ずに告白されることに途方もない抵抗があるようです。本当に嫌。裸を見たことも触れ合ったこともないのに好きとか言われるの、気持ち悪くて受け入れられない。(重大なバグ)

まあでも、仕方ない。
自分にとって違和感のないやり方で進めていくしかない。

かくしてわたしは、いつか必ず終わる関係を、自ら始めてしまったのであった。
人間とは業の深い生き物である。

どんなに恋愛に対してペシミスティックになっていても、もう当面誰とも付き合わないとか思っていても、好きになっちゃうときは好きになっちゃうね。理屈は通せない。もっと相手のことを知りたい、触れてみたい、会って話がしたいと思うのは、人間の根源的な欲求である気がしました。

自分のことを大切にしようとしてくれている人とセックスするのも恥ずかしながら随分ひさしぶりで、したあとに心理的な距離が縮まるなんてとてつもなく幸せなことに思えて、顔を寄せて他愛もない話をしているうちにカーテンの向こう側が段々明るくなっていくなんて、こんなに満ち足りた時間があるのかと目から鱗が落ちました。

なんとも思っていない相手とのセックスを今さら否定する気はないですし、あれはあれで理に適っているところもあります。でも、「この人とはもう二度と会わないだろう」と思いながらセックスするのと、「この人と明日は何をして過ごそう」と考えながらセックスするのとでは、なんというか、月並みな表現ではあるけれど、精神的な部分の満たされ具合が全然ちがいました。この人はセックスが終わったあとも離れていかないと確信できる安心感は、何にも代えがたかったです。

前回の予告通り、半年もしないうちにちがうこと言ってる結果となりました。そのときどきで変わっていく恋愛やセックスに対する考え方を文字にして残しておくの、結構面白いかもしれない。

また、折があれば書きます。